丹沢表尾根から鍋割山へ [山日記]
30年4月14日丹沢表尾根~鍋割山
今年の山登りの始まりです。
ここ数年は、5月、6月に丹沢の主脈縦走を行って山を歩く体力は大丈夫かどうか確認するのですが、今年はその前にもうワンクッションおくことにしました。縦走よりちょっと軽い行程で予行演習です。
4月14日
7:35 秦野発バス(臨時)
8:05 ヤビツ峠着
地図には護摩屋敷の水場という地名が載っていますがここまでの所
にそのような案内は見つかりませんでした。この道をもう少し行くと
あるのかも知れませんが、表尾根に向かう人に護摩屋敷の水場と言
っても全く意味がありません。地図の出版社は考える必要があるの
ではないかと思います。
にそのような案内は見つかりませんでした。この道をもう少し行くと
あるのかも知れませんが、表尾根に向かう人に護摩屋敷の水場と言
っても全く意味がありません。地図の出版社は考える必要があるの
ではないかと思います。
少し登ると大山の方角が開けました。頂上は雲の中でしたが、晴れて
いれば雄大な眺めが期待できそうです。
足元には可愛いスミレ
9:43 二の塔
カンバンとベンチがあるだけで何もありません。
1時間頑張ったので、一休み。
10:09 三の塔
ヤビツ峠から3.8km、塔の岳まで4.0kmと書いてありました。
尾根が細くなっているところは鎖が張ってありました。
これから行く先の尾根の様子がガスの中に見えました。
標高はかなり上がって来ましたが、所々山桜がきれいに咲いていました。
ソメイヨシノとは違って丸っこい愛らしい花です。
ガスが少し薄くなって下界が見えました。手前の町は秦野市、黒く見える
山並の向こうは小田原市だと思われます。
10:39 烏尾山 小屋の向こうに平らなところがあってそこが頂上でした。
ベンチと方位盤がありました。
11:03 行者が岳
行者が岳の少し先へ行くとちょっとした岩場があり、鎖がかかっていました。
慣れない人がいるらしく、渋滞していました。 この付近はこのコース
一番の難所かもしれません。
尾根が細くなっているところは写真のように人工の道が作られて
いました。
11:47 新大日
一休み。
この先で雪が2,3滴道に落ちるのが見えたこと、風が強くなって
来たことなどを考えて、ヤッケを雨具に着替えて歩きました。
12:05 木の又小屋
12:40 塔の岳
お昼を回ってしまいましたが、お昼は鍋割山荘で食べることにして
ここでは吹きっさらしの中で少しだけお腹にいれました。家で作って
きたゆで卵とミニトマトをたべました。風が強く卵の殻が飛ばされ
ないようにザックの中に袋を入れてその中に殻が入るようにして
やっと散らかさずに剥くことができました。寒いのでさっき雨具と
着替えたヤッケを雨具の上から着ました。ダウンももっていきまし
たがそこまでは必要がありませんでした。
13:01 塔の岳 出発
そういえば尊仏山荘の前には大きな太陽光パネルが設置されて
いました。確か去年はなかったと思うのですが?
鍋焼きうどんを目指して鍋割へ向かって下山開始です。
昔のように駆け下るわけにはいきません。一歩一歩慎重に下ります。
頂上を離れると風はほとんど気にならない程度でした。
13:16 金冷やし
子の分岐点を右に入ると鍋割方面です。
鍋割への道に入るとのどかな道が続いていました。
13:38 二俣分岐(小丸尾根分岐)
13:50 小丸(1341m)
14:11 鍋割山
小屋に入って「鍋焼きうどんが食べたい」というと、小屋の人が
「それはもう終わってしまいました」というのです。がっくりきて、
外のベンチで持って来た食糧で腹を満たしましてすぐに下山開始です。
山荘の料金表 鍋焼きうどんは1000円でした。
14:29 鍋割山 下山開始
頂上付近でも少し新緑が見られました。
道ははじめ緩やかで、後沢乗越が近づくと急な下りになりました。
このルートにも山桜が沢山ありました。
気持ちの良いなだらかな道
道が急な下りになるころ、新緑が見えるようになりました。
そして、少し雲が晴れてくるような感じがしました。
木の間隠れに山の稜線が見えました。
そして、スミレ。
新緑とミツバツツジ
今年は平地でのミツバツツジはとっくに咲いたので、もしかしたら
咲いているかもしれないと思って来ましたが、予想通り、咲いていました。
後沢乗越が近づいたころ、尾根続きの先に丸い頭の山がみえました。
栗の木洞かもしれません。
15:21 後沢乗越
この辺りまで下りてくると辺り一面が新緑になっていました。
ミツバツツジもあちこちに咲いているのが見えます。新緑とピンク、
春を寿いでいるように明るい眺めです。
後沢乗越で尾根から外れて急な斜面を二俣に向かって下りて
いきます。
急な斜面がようやく終わって沢に出ると、小さな滝がありました。
ここからは道もなだらかになり沢の流れも少しづつ増えてきました。
やがて大きな沢に出会いました。
頂上付近でも少し新緑が見られました。
道ははじめ緩やかで、後沢乗越が近づくと急な下りになりました。
このルートにも山桜が沢山ありました。
気持ちの良いなだらかな道
道が急な下りになるころ、新緑が見えるようになりました。
そして、少し雲が晴れてくるような感じがしました。
木の間隠れに山の稜線が見えました。
そして、スミレ。
新緑とミツバツツジ
今年は平地でのミツバツツジはとっくに咲いたので、もしかしたら
咲いているかもしれないと思って来ましたが、予想通り、咲いていました。
後沢乗越が近づいたころ、尾根続きの先に丸い頭の山がみえました。
栗の木洞かもしれません。
15:21 後沢乗越
この辺りまで下りてくると辺り一面が新緑になっていました。
ミツバツツジもあちこちに咲いているのが見えます。新緑とピンク、
春を寿いでいるように明るい眺めです。
後沢乗越で尾根から外れて急な斜面を二俣に向かって下りて
いきます。
急な斜面がようやく終わって沢に出ると、小さな滝がありました。
ここからは道もなだらかになり沢の流れも少しづつ増えてきました。
やがて大きな沢に出会いました。
13:57 二俣
ようやく二俣です。ここから大倉まで4.0キロとあります。もう一息
です。 道標の傍にヤマビル注意と書いた看板がありました。
看板の下に塩がおいてあって、蛭を見つけたら駆除するために塩を
もっていくようにと書いてありました。私は以前、丹沢の三峰
あたりの山に行ったときひどい目に合ったことがあります。
16:12 尾関廣氏の銅像
日本の山岳会の発展に貢献した人物とのこと
です。 道標の傍にヤマビル注意と書いた看板がありました。
看板の下に塩がおいてあって、蛭を見つけたら駆除するために塩を
もっていくようにと書いてありました。私は以前、丹沢の三峰
あたりの山に行ったときひどい目に合ったことがあります。
16:12 尾関廣氏の銅像
日本の山岳会の発展に貢献した人物とのこと
17:20 大倉バスセンター
18:50 我が家着
踏破距離
踏破距離
ヤビツ峠-塔の岳 7.8km
塔の岳-鍋割山 2.6km
鍋割山-大倉 7.6km
合計 18km
合計 18km
後記
近年、年ごとに体力の衰えを実感していますので、今年はどうか?と自分の体力を見極めるために、今
近年、年ごとに体力の衰えを実感していますので、今年はどうか?と自分の体力を見極めるために、今
回の表尾根登山を行いました。去年、一昨年と丹沢主脈縦走を日帰りで行くことができて、何とか行け
そうだと判断しましたが、今年はどうでしょうか?あと1か月ほどしたらもう一度主脈縦走を行ってみて
判断しようと思います。
表尾根は山歩きを始めた頃1度だけ行っただけで、当時の記憶は全くなく、今回歩いて、結構変化がって
城址めぐり [山日記]
旧友達と花見をするために3月末岡崎に行きました。その帰り、愛知県から岐阜県にかけて残されている城址を3つ尋ねてみました。
4月1日(日)朝早く岡崎のホテルを出発しました。
尋ねたのは
尋ねたのは
その1 豊田市北部の市場町と言うところにある「市場城址」
その2 岐阜県恵那市にある「岩村城址」
その3 岐阜県中津川市にある「苗木城址」
《その1》 市場城址
国道419号から右に入って少し行くと右側に小さな駐車場がありました。
駐車場に設置された案内板
駐車場に設置された案内板
道路を渡って山道を登って行くとやがて城郭の一部らしい所に出ます。
そこに城の全貌を示す案内図が設置されていました。案内の順路に
したがって現在地から左回りに歩いてみました。
城主の供養塔
何故か鳥居があり、その奥に墓石らしき石塔がありました。
その先に空堀と名前が付けられたところがありました。そして
その先に石垣が見えてきました。
空堀の一番上にはちょうど山桜が咲いていました。
ここに見える石垣は本丸の一段下の石垣です。
上の石垣の傍まで行くと、本丸の石垣が見えて来ました。
本丸の石垣を別の角度から見て見ました。
少し近づいて見るとかなり粗い野面積みだと言うことがわかります。
本丸に着きました
本丸は北西から南東に広がる大地になっていて北西側がやや奥行きのある
広場に見えました。下の写真は南東側の先端部分です。
本丸大地のほぼ中央に建てられた案内板
本丸の北西部を見たところ
本丸から南側の見晴らし
以前、秋にここに来たことがありますが、モミジがきれいなところ
でした。
本丸大地越しに北東側をみてみました
本丸からの降り口に咲いていた桜です
帯曲輪あと
家老屋敷あとと言われる場所
ぐるっと回って案内図のある所に戻ってきました。
駐車場に戻る道
駐車場に戻ってきました。
6:59について1周して戻ってきたとき8:40でした。
広場に見えました。下の写真は南東側の先端部分です。
本丸大地のほぼ中央に建てられた案内板
本丸の北西部を見たところ
本丸から南側の見晴らし
以前、秋にここに来たことがありますが、モミジがきれいなところ
でした。
本丸大地越しに北東側をみてみました
本丸からの降り口に咲いていた桜です
帯曲輪あと
家老屋敷あとと言われる場所
ぐるっと回って案内図のある所に戻ってきました。
駐車場に戻る道
駐車場に戻ってきました。
6:59について1周して戻ってきたとき8:40でした。
案内板には1周15分と書いてありましたので、ずいぶん時間をかけた
ものです。
《その2》 岩村城址
ものです。
《その2》 岩村城址
国道419号へ戻り、さらに北上。突き当りを右折。国道363号を 行きます。
しばらくして国道257号に突き当りここを右に行くと間もなく岩村城址
でした。ナビで目的地を岩村城址としておいたら、本丸のすぐ下の駐車場
に着いてしまいました。前に来たときはこんな道は通らなかったと思い
ましたが、後の祭りです。仕方なく本丸から下に下って、もう一度ここへ
戻ることにしました。写真は下りにも撮りましたが、下から上がってくる
ときに撮ったものを使おうと思います。
登城口から本丸までは800mあるようですが、私は登城口までは下りず、
本丸への上りが始まって少し登ったところにある下田歌子勉学所(本丸まで
600m地点)から引き返しました。
下田歌子勉学所
下田歌子の略伝
勉学所前から本丸への道を眺めました。
藤坂・・・下田歌子勉学所から一の門までの間をこう呼んだようです。
本丸まで600m地点
初門
本丸まで500m地点
本丸まで400m地点
一の門
土岐門が見える
土岐門(本丸まで300m)
畳橋
神社の前に出る手前の急坂
急坂の右側に張り出した石垣
追手門
追手門の先(本丸まで200m)
八幡神社の下側石垣(左側石垣の上面が八幡神社)
霧ヶ井(八幡神社の向かい側)
八幡神社の石垣(本丸まで100m)
正面奥の階段を上がって山道を進むと神社がありました
八幡神社(樹木の中にあって下の道からは見えません)
二の丸の石垣?(定かでない)
本丸の六段壁が見えて来ました。
本丸(六段壁)の入り口です。
本丸を大おきく囲む石垣です。
六段壁全容
六段壁の入り口から入って登って行くといくつかの門があります。
その一つ「長局埋門」です。
本丸(正面に見える石垣の上)に至る最後の枡形
上の入り口の手前の右に回り込むともう一つの上り口があります。
今は使われていないようですが・・そして更に奥にもう一つ枡形を
もった出入り口があります。
正面の枡形を通って本丸へ上がりました。
岩村城将士慰霊塔
今、登って来た入り口
井戸跡
駐車場につながる枡形出入り口
駐車場へのルートにある枡形
枡形の出口を外から見たところ
本丸の石垣(この石垣を左に回り込むと駐車場があります)
石垣のカーブが美しい!
本丸石垣と駐車場に続く道(下に見える道)
本丸から戻ってくる道
しばらくして国道257号に突き当りここを右に行くと間もなく岩村城址
でした。ナビで目的地を岩村城址としておいたら、本丸のすぐ下の駐車場
に着いてしまいました。前に来たときはこんな道は通らなかったと思い
ましたが、後の祭りです。仕方なく本丸から下に下って、もう一度ここへ
戻ることにしました。写真は下りにも撮りましたが、下から上がってくる
ときに撮ったものを使おうと思います。
登城口から本丸までは800mあるようですが、私は登城口までは下りず、
本丸への上りが始まって少し登ったところにある下田歌子勉学所(本丸まで
600m地点)から引き返しました。
下田歌子勉学所
下田歌子の略伝
勉学所前から本丸への道を眺めました。
藤坂・・・下田歌子勉学所から一の門までの間をこう呼んだようです。
本丸まで600m地点
初門
本丸まで500m地点
本丸まで400m地点
一の門
土岐門が見える
土岐門(本丸まで300m)
畳橋
神社の前に出る手前の急坂
急坂の右側に張り出した石垣
追手門
追手門の先(本丸まで200m)
八幡神社の下側石垣(左側石垣の上面が八幡神社)
霧ヶ井(八幡神社の向かい側)
八幡神社の石垣(本丸まで100m)
正面奥の階段を上がって山道を進むと神社がありました
八幡神社(樹木の中にあって下の道からは見えません)
二の丸の石垣?(定かでない)
本丸の六段壁が見えて来ました。
本丸(六段壁)の入り口です。
本丸を大おきく囲む石垣です。
六段壁全容
六段壁の入り口から入って登って行くといくつかの門があります。
その一つ「長局埋門」です。
本丸(正面に見える石垣の上)に至る最後の枡形
上の入り口の手前の右に回り込むともう一つの上り口があります。
今は使われていないようですが・・そして更に奥にもう一つ枡形を
もった出入り口があります。
正面の枡形を通って本丸へ上がりました。
岩村城将士慰霊塔
今、登って来た入り口
井戸跡
駐車場につながる枡形出入り口
駐車場へのルートにある枡形
枡形の出口を外から見たところ
本丸の石垣(この石垣を左に回り込むと駐車場があります)
石垣のカーブが美しい!
本丸石垣と駐車場に続く道(下に見える道)
本丸から戻ってくる道
駐車場から本丸を見る
9:31 この駐車場に着き,一旦本丸に登ってから、下田歌子勉学所(途上口から200m地点)まで下って
もう一度本丸に登ってから駐車場に戻りました。車の戻った時は11:09でした。
石垣は、野面積あり、打込みハギ、切込みハギと言った異なる時代の積み方が混在して見られ、長い時代に
渡って、守られて来たことがわかります。登城口から本丸まで至る所に見事な石垣が残されており、見応え
がありました。
がありました。
《その3》 苗木城址
岩村城址を後にして苗木城址に向かいました。
中津川に出て、国道19号を木曽に向かって進み、国道257号を左折
するとまもなく苗木城址の案内板がありました。
この先に立派な資料館がありましたが、そこの駐車場は一杯で止め
られず、戻って入り口の駐車場に車をとめました。
資料館を過ぎて城跡に通じる道を行くと前方が開けて本丸が見える
スポットがありました。
龍王院跡
真言宗の寺院であったが明治維新の廃仏毀釈で神職が支配することに
なったとの記載あり。
本丸がはっきりと確認できました。
道ばたのスミレ
風吹門(大手門)への道
この坂を上がりきったところが風吹門です。
風吹門跡の案内板
風吹門跡(門はなく石垣だけが残っています)
風吹門の手前を左に入って北門跡経由さくら公園に行ってしまいました。
下の写真は桜公園の方へ登って行く道です
途中石垣越しに恵那山が見えました。
恵那山から90度ほど右に向きを変えると本丸がみえました。
桜公園に行く途中「北門跡」という表示板がありました。
桜公園は一面の桜できれいでした。
桜の向こうに形の良い山が見えています。笠置山という山かも
知れません。
風吹門に戻って三の丸の前にでました。
大矢倉の石垣です
駈門跡
大門跡(ここからが本来の城の中なのかも知れません)
錦蔵門跡
坂下門跡
坂下門跡
坂下門付近から大矢倉を見下ろす
菱櫓門跡
本丸石垣
本丸口門跡
道の右側部分が具足蔵、武器蔵跡
武器蔵、具足蔵の説明
武器蔵跡から本丸を見上げる
武器蔵跡から本丸への道を支える石垣を見上げる
玄関口門の説明
本丸までもう少し
本丸玄関の表示
本丸建物への登り口
本丸天守台の説明
木曽川の向こうに恵那山が見えます
木曽川は左から右下へ流れています。
木曽川下流を見る。右手に見えるのは笠置山とおもわれます。
本丸天守建物(建物と言うより展望台)を直ぐしたから見上げ
ました。
天守台(展望台)から大矢倉を見下ろしてみました。
本丸から下って大門のある平地までおりてから、今度は台所門から
もう一段下って、的場の方へ行ってみました。
的場
右側石垣の上が二の丸。
的場から大門の平地まで戻って、大矢倉に登ってみました。
大矢倉説明板
大矢倉石垣の上から本丸をみました。
大矢倉石垣の上から桜に彩られた本丸をながめました。
資料館に入って、苗木城址の歴史などを学びました。
館内で撮影が許された苗木城の復元模型です。
自然の岩を上手に利用して見事な要塞を作り上げていたことが
よくわかりました。
12:09に着いて、本丸まで行って車に戻ったときは14:10でした。ゆっくり
見学が出来ました。江戸から明治につながるまで小藩の城として機能してきた
ようですが、江戸時代末期には経済的に立て直しを図ったものの窮状は改善
できなかったと資料館の中に説明があり、この城の維持管理はおそらく
藩政の足かせでは無かったかと想像する次第です。
帰りは国道19号を北上し、権兵衛トンネルを通って伊那から中央高速で家に
戻りました。談合坂付近から渋滞に巻き込まれ家着は20:30でした。
完