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高取山(高取城址)ハイキング [山日記]

2019年12月8日(日)

奈良県の高取城址へ行って来ました

前日は大阪で旧友達と忘年会があり、翌日は神奈川に帰るだけですので少し足を伸ばしてみました

朝大阪を出て、近鉄吉野線で壺坂山という駅に降り立ちました

   _DSC_2018壺坂山駅.JPG
   駅で案内のパンフレットをもらいその地図を頼りに
   歩くことにしました
        
   パンフレットは次のようなものでした
   表
   _土佐街道散策マップ002高取城址案内図2.JPG 
   裏・・・地図になっていました
   _土佐街道散策マップ001高取城址案内図.JPG
   城址へは旧街道を通る道と途中、壺阪寺を経由する道とが
   あるようでしたが、以前車で行ったことがある壺阪寺を
   もう一度行ってみたいと思い、壺坂ルートを行くことにしました

         駅のすぐそばを国道169号が走っていて、壺阪寺へはそれを
   右(吉野方面)へ行きます 
         しばらく進むと、このような案内板の立っている交差点が
   ありました

   _DSC_2020駅を出て国道を右へ.JPG
        案内図に載っているお好み焼きのお店の看板です 
   _DSC_2021案内図にある国道のお好み焼.JPG
   更に進んで、国道が上り坂になり少し行くと壺阪寺への
   道がありました ここを左へ入りました
   _DSC_2023国道を左へ.JPG
   しばらく行くと左に旗が立った大きな橋がありました
         ここはまっすぐ行くのとこの橋を渡っていくのとふた通り
   の選択肢がありました。私はこの橋を渡らず直進を選択
   しました

   _DSC_2026城跡へはここを左折でも直進でも可.JPG
   道が少し上りの傾斜が急になるころ、壺阪寺に着きました
   ここを左に入って、お寺を拝観しました。

   寺については別の投稿にすることして、高取城址への
   行程を披露することにします
   _DSC_2028寺へはここを左折.JPG
   寺からは、高取城址への道がついていました
   そこを上がっていくと、先ほど歩いてきた道路の上の方に
   出ることができました
   _DSC_2097寺を見て再び道路へ.JPG
   この道を上がっていくと今見てきた寺の三重塔が見事な
   紅葉の中に建っていました 
   _DSC_2098道路からも三重の塔が.JPG
   しばらく行くとこのような道標がありました
   ここで舗装道路と別れてハイキング道に入りました    
         _DSC_2104高取城址への道標左へ.JPG
   少し登ると五百羅漢経由とそうでない道に分かれました
   私はここを右に行って五百羅漢を通らない道を選びました
   _DSC_2106五百羅漢は通らない道へ(左).JPG
   道は細くスギの木をよけながら続いていました
   _DSC_2108登山一景.JPG
   少し進むと五百羅漢を経由してくる道と合流しました
   _DSC_2109五百羅漢からの道と合流.JPG
   緩やかな道が続きます
   あと城址まであと1kmとかいてありました
   _DSC_2110もう少しで城址か?.JPG
   林道に出ました。
   _DSC_2116一旦ちょっと広い道に出る.JPG
   林道を少し進むとお城の入り口のようなところにでました
   _DSC_2118お城の入り口.JPG
   少し登ったところに大きな石碑が立っていました
   史跡「高取城址」と書いてありました
   _DSC_2119立派な石碑.JPG
   また少し行くと林道が広くなったようなところに出ました
   お城の案内図などがありどうやらここがお城の入り口の
   ようでした。 
   _DSC_2121又広い道に出た.JPG
   入り口にはトイレもありました
   _DSC_2123ここがお城の入り口のようです.JPG
   ここを左へ入っていくと、いよいよお城の中に入って
   行くようでした
   石垣が出てきました
   ワクワクする思いで歩を進めました
   _DSC_2125登山道に石垣が.JPG
   道にはところどころにこのような石碑が建てられていました
   史跡「高取城址」
   _DSC_2127所々にこのような石碑が.JPG
   崩れた石垣
   _DSC_2129お城らしくなって来ました.JPG
   壺阪門跡
   _DSC_2132壺坂門跡.JPG
   行く手に木製の階段がでてきました
   これは昔あったものではなく、観光用につけられたものの
   ようです。(趣はありません)
   _DSC_2133階段が.JPG
   石垣が道の両側に
   _DSC_2134城らしい景観.JPG
   壺阪口中門跡
   _DSC_2135壺坂城中門跡.JPG
   野面積みの典型的な石垣
   _DSC_2137野ずら積み.JPG
   前の写真の石垣に沿って真っすぐに進むとようやく
   本丸まで200mという標識が出てきました
   _DSC_2145本丸まで200m取り壊し前の写真.JPG
   私がたどってきた道はどうやら裏手で、ここで表からの
   道と合流した模様です
   二の門跡は表からの道の門のようでした

   大手門跡 いよいよ中枢部です
   _DSC_2148大手門跡.JPG
   大手門跡を通って行くと 
   _DSC_2149大手門からの景観.JPG
        城内の紅葉
   _DSC_2154城内紅葉.JPG
   十三間多門跡 枡形が構成されています
   _DSC_2155十三間多門跡.JPG
   石垣の間にきれいなモミジが
   _DSC_2158十三間多門跡のモミジ.JPG
   十三間多門をを入った所から登って来た道を振り返りました

   _DSC_2162十三間多門跡を振り返る.JPG
   本丸の一段下の広場にでました
        突き当たりの石垣の手前に案内板が見えます
   そして石垣の上にご神木が見えます
   _DSC_2163本丸前の広場.JPG
   本丸の石垣の下に置かれた山城説明板 
   _DSC_2164広場にあった説明板.JPG
   私はここに書かれた日本三大山城にすべて行きました。

   十五間多門跡
   _DSC_2167十五間多門跡.JPG
   十五間多門の下側から見て右側の石垣の上に太鼓櫓が
   あったようです
   _DSC_2168太鼓櫓跡.JPG
   前の石垣の上が本丸 その手前の木がご神木 

   _DSC_2169本丸下のご神木.JPG
   本丸下のご神木
   _DSC_2175ご神木と石碑.JPG
   本丸前のモミジ
   _DSC_2179本丸下の紅葉.JPG
   本丸入り口
   _DSC_2181本丸入り口.JPG
   本丸入り口 ここから入ってもう一段上がる
   _DSC_2182本丸入り口.JPG
   もう少しで本丸の広場です
   _DSC_2185本丸前の枡形.JPG
   本丸の広場に立ちました!
   _DSC_2187本丸到着.JPG
   本丸からの下界の眺め(南側)です
   _DSC_2190本丸からの景観.JPG
   本丸の石垣の北の端から、石垣を見下ろしました
   _DSC_2193本丸からの景観.JPG
   三角点がありました
   _DSC_2202本丸に設置された三角点.JPG
   本丸の全容です この台地がぐるっと石垣で囲われています
   私はその石垣の上の日当たりの良いところに腰掛けてパンを
   一つ食べました 気分爽快でした
   _DSC_2206広い本丸.JPG
   本丸の説明書きです
   _DSC_2204本丸の説明 (2).JPG
   パンを食べたあと、残りの半分の石垣の上を回りました
   ほぼ一回りしたらご神木の所に戻ってきました
   _DSC_2197本丸から見たご神木と新しい石垣 (2).JPG
   ここの石垣は野面積みではありません
   一回りして下山開始しました

   大手門を出たところの紅葉です
   _DSC_2210本丸から1段降りたところの紅.JPG
   帰りは土佐街道へおりる道を行くことにして、大手門の少し先で
   登って来た壺坂道を左に見て直進をしました
   _DSC_2219帰りは土佐街道を目指す.JPG
   門跡が次から次へ出てきました
   千早門跡です
   _DSC_2221千早門跡.JPG
   宇陀門跡です
   _DSC_2222宇陀門跡.JPG
   松の門跡です
   _DSC_2226末ノ門跡.JPG
   矢場門跡
   _DSC_2227矢場門跡.JPG
   国見櫓分岐
   ここで左へは入って国見櫓跡へ行ってみました
   _DSC_2228国見櫓跡分岐.JPG
   案内板がありました
   _DSC_2230国見櫓跡の案内板 (2).JPG
   _DSC_2232国見櫓跡の案内板.JPG
   国見櫓から奈良の町を見渡せました
        香具山とか耳成山と思われる山がみてとれました
   _DSC_2233国見櫓跡から奈良一望.JPG
   二の門跡
   _DSC_2236二の門跡.JPG
   猿石
   _DSC_2239猿石.JPG
   岩屋不動
   ここは寄り道せず素通りしました
   _DSC_2244岩や不動.JPG
   下山道の一景
   _DSC_2245下山道.JPG 
   今、下っている道は大手道と言うようで、その説明が書いて
   ありました
   _DSC_2246大手道解説.JPG
   道がくねった七曲がり
   _DSC_2251七曲がり.JPG
   山道をほぼ下りきると小さな川に沿った道になりました
   大和川の源流に近い流れです
   _DSC_2253大和川源流.JPG
        宗泉寺の入り口 よらずにパスしました
   _DSC_2255宗泉寺入り口.JPG
   そして道はこのようにきれいに整備されていました
   _DSC_2257高取川沿いの道.JPG
        この道を通って城に向かうときは、この辺りを城の入り口
   として案内をしているのでしょう、道標がしっかりと立って
   いました マップの砂防公園と言うところ辺りです
   _DSC_2262本丸に一番近いトイレ.JPG
   すぐその下流に水車小屋がありました
   _DSC_2263水車.JPG
   高取城址のCGによる再現写真です
   どこかの大学が取り組んでいるようです
   壮大な山城出であったことがよく分かります
   _DSC_2264高取城CG再現プロジェクト.JPG
   私はこの道標を見間違えて土佐街道を目指しながら別の
   道を進んでしまいました
   地図では山から下ってきた道をそのまま真っすぐに行けば
   土佐街道に出るはずでしたが、そうではなくここで少し
   左へ行ってから右へ行かないとダメなようでした
   _DSC_2265道を間違えた所.JPG
   真っすぐ行ってこの看板のある所を左へ行っても良かった
   ようですが私はここも頑固に真っすぐに行ってしまい
   いよいよおかしいと気づき土地の人に聞いてここまで
   戻ってきました大きな時間ロスでした
   _DSC_2266この道を行くべきでした.JPG
   上の道を真っすぐ来ると駅前に出ました

   ヤレヤレです 
   _DSC_2268駅前の土佐街道出会い.JPG
   この前に見えるのが土佐街道
   _DSC_2269駅前の土佐街道出会い.JPG
   結局土佐街道は歩くことなく電車に乗って大阪に戻りました
   壺阪山駅
   _DSC_2273壺坂山駅.JPG



                    完
   

   
   

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壺坂寺 [寺社仏閣]

2019年12月8日(日)
高取城址へ行った折に立ち寄った壺坂寺の報告です

壺坂山駅から国道169号を吉野方面に歩いて、高取城址の道標に沿って
左折、しばらく緩やかな登りを行くと壺坂寺入り口のカンバンが
出てきました
    _DSC_2029寺の入り口.JPG  
    坂を登っていくと広場にでました
    そこから寺の全容が見えました
    広場の奥に入山受付がありました    
    _DSC_2030寺の入り口から寺の全容.JPG
    受付の後に大きな建物があってそのその側面に
    寺の概要を書いた説明板がありました
    (これではちょっと読めませんね・・・)           
    _DSC_2035寺についての説明.JPG 

    説明文を書き写しておきます
社会福祉法人 壺坂寺聚德会 壺坂寺(南法華寺)
壺坂寺は大宝3年(西暦703年)弁基上人によって開かれた霊山で、
正式には「壺坂山南法華寺」と言います。十一面千手観音様をご本尊
として祀る観音信仰の一大道場で西国霊場の第六番札所です。古来から
眼病に霊験あらたかな寺として信仰され、説話「壺坂霊験記」における
お里・沢市の話はあまりにも有名です。また、日印合同でさまざまな
浄業を行っており、境内にはインドで製作された大観音石像(全高20m)
や仏伝図石像レリーフ(全長50m)、大涅槃石像(全長8m)などの
大石像美術が安置されています。
 「壺坂寺」は昔から目の不自由な人々にとっての聖地としての厚い
信仰と、深い願いが込められ、全国各地から訪れる人が絶えません。
そして、この地に住みたいという老人たちの願いに応えるのが真の老人
福祉であるという、故常磐勝憲長老の情熱と信念、多くの人々の善意が
結実して、昭和36年我が国で最初の「養護盲老人ホーム慈母園」が
誕生しました。さらに、故常磐長老の「思いやりの心を 広く深く」の
呼びかけの下に、昭和45年より法人名を”壺坂寺聚徳会”と改名し、
様々な福祉事業を行っております。  
    
    この前を通って進むと一段高いところに仁王門がありました
    _DSC_2036仁王門.JPG
    門の左右に仁王様が立っていました(阿形、吽形というのでしょう)
    立派な彫刻でした
    仁王門の説明が書いてりました
    _DSC_2038仁王門の説明.JPG 
    _DSC_2039仁王様.JPG
    _DSC_2040仁王様(右).JPG
    門を入ると右側には大仏、左側には多宝塔、その奥には
    灌頂堂がありました
    大仏(大釈迦如来石像)
    このお寺がインドのハンセン病患者救済に尽力したことに
    よってインドとの交流が始まり、この大仏はインドから
    贈られたものだそうです
    _DSC_2041大仏.JPG
    大仏の説明
    _DSC_2043大仏の説明.JPG
           この写真では字が読めないので下記に記載します

         天竺渡来 大釈迦如来石像
         十一面千手観音菩薩石像
         文殊菩薩石像
         普賢菩薩石像
        これら大石仏群は、インドから招来された。
        インドでの奉仕活動のご縁から始まった
       国際交流・石彫事業の一環で、製作された。
       二十一世紀初頭より、世界中で起こった暴力
       や中傷などによって痛んだ心を癒やすために
       建立された。
        また、先に、招来した大観音石像、大涅槃石像
       も拝し、心を大きくして、周りの人へと自然に思
       いやりの心を広く、深くして頂きたい。
        文殊菩薩は釈迦如来の「智慧」を、普賢菩薩は
       「行」観音菩薩は「慈悲」を表している。

                          合掌 


    多宝塔(手前)と灌頂堂(奥)
    _DSC_2042多宝塔.JPG
    多宝塔は寺の記載としてそう書いてあったかどうかは
    未確認です(形から私が勝手に呼称しました)
    更に進むと道がつづらおりになってその先階段を上がると
    あまり大きくないお堂がありました
    _DSC_2045本堂に続く道の途中にある建物.JPG
           堂の内壁に飾ってある絵画の説明
    _DSC_2046堂内の説明.JPG
    堂内の展示品の一つ・・・・小さな涅槃蔵像
    _DSC_2046涅槃像.JPG
    このお堂の中を通って、
    三重の塔や本堂が立つ広場に出ました 
    三重塔の背後の山は色づいた木々の葉がつかの間の美しさ
    を輝かせていました
    三重塔
    塔は明応六年(西暦1497年)に再建されたものと思われ、
    重要文化財に指定されています
    筆者は2010年秋にもここを訪れていますが、そのときは
    三重塔の扉が開かれ、中に秘仏「大日如来座像」がおかれて
    いましたが今回は扉が開いていませんでした     

    三重の塔の向こうは美しい紅葉でした
    _DSC_2051三重塔と紅葉.JPG
    _DSC_2052三重の塔と紅葉.JPG
    _DSC_2053三重塔と紅葉3.JPG
    三重塔の正面は目の祈りの場所でした
    _DSC_2061目のお寺.JPG
    ここを合掌してくぐると眼病が平癒するとのこと
    三重の塔全景
    _DSC_2064三重塔2.JPG  
    本堂全景(後に六角堂を伴っている) 
    _DSC_2065本堂.JPG
    壺坂霊験記のお里澤市の像
    _DSC_2067お里澤市の像.JPG
    本堂を横から見ました
    私には後に従えた六角堂が傾いて見えるのですが?
    _DSC_2068本堂と六角堂.JPG
    本堂へはスロープが着いていて車椅子でも入れそうです
    本堂の中
    手前が外陣、奥が内陣と言った堂内の配置になっていて
    奥の内陣部分は六角堂の中に配置されていました 
    _DSC_2074本堂側から六角堂の本尊を拝す.JPG
    本尊は十一面千手観音です
    _DSC_2071十一面千手観音.JPG
           仏様のお顔は東南アジア系のお顔にみえました    
    _DSC_2078御利益.JPG
    外の紅葉   
    _DSC_2079三重の塔と紅葉.JPG
    道路を隔て、少し山側に登った所に大観音石像が立って
    いました
    インドに対するハンセン病患者救済活動を通じてインドから
    贈られたものとのことです
    _DSC_2084観音像.JPG
    我々が見上げる場所には実物より少し小さい「御手」
    置かれていました
    _DSC_2082石像の御手の説明.JPG
    _DSC_2085阿弥陀如来座像.JPG
    観音石像が渡来したときの船がアミダーバ(阿弥陀如来)
    であったことから、アジアの海の安全を祈願してこの
    阿弥陀如来座像を建立したと書かれています
    _DSC_2085阿弥陀如来座像の由来.JPG
    本堂のある平面から観音石像のある高台へ登る途中から
    境内を見下ろした所の紅葉です
    _DSC_2086境内の紅葉.JPG
    出口に戻る途中行きに立ち寄らなかった仁王門を入って
    すぐの所にある灌頂堂を見ました
           _DSC_2090灌頂堂.JPG
    _DSC_2091灌頂堂由来.JPG
    これで壷阪寺を後にして高取山に向かいました
    寺の入り口を出たところにお城に向かう道がついていて
    下の道路まで戻らずに行けるようになっていました

    2010年に訪れた時はインドとの事業などに興味がなく
    お寺自身もあまり見るものがないと思いましたが、今回
    寺の説明を丁寧に読んでみて、お寺として立派な社会貢献
    をされていることが理解できて気持ちを入れて拝観させて
    頂きました。
    


                    
    






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