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壺坂寺 [寺社仏閣]

2019年12月8日(日)
高取城址へ行った折に立ち寄った壺坂寺の報告です

壺坂山駅から国道169号を吉野方面に歩いて、高取城址の道標に沿って
左折、しばらく緩やかな登りを行くと壺坂寺入り口のカンバンが
出てきました
    _DSC_2029寺の入り口.JPG  
    坂を登っていくと広場にでました
    そこから寺の全容が見えました
    広場の奥に入山受付がありました    
    _DSC_2030寺の入り口から寺の全容.JPG
    受付の後に大きな建物があってそのその側面に
    寺の概要を書いた説明板がありました
    (これではちょっと読めませんね・・・)           
    _DSC_2035寺についての説明.JPG 

    説明文を書き写しておきます
社会福祉法人 壺坂寺聚德会 壺坂寺(南法華寺)
壺坂寺は大宝3年(西暦703年)弁基上人によって開かれた霊山で、
正式には「壺坂山南法華寺」と言います。十一面千手観音様をご本尊
として祀る観音信仰の一大道場で西国霊場の第六番札所です。古来から
眼病に霊験あらたかな寺として信仰され、説話「壺坂霊験記」における
お里・沢市の話はあまりにも有名です。また、日印合同でさまざまな
浄業を行っており、境内にはインドで製作された大観音石像(全高20m)
や仏伝図石像レリーフ(全長50m)、大涅槃石像(全長8m)などの
大石像美術が安置されています。
 「壺坂寺」は昔から目の不自由な人々にとっての聖地としての厚い
信仰と、深い願いが込められ、全国各地から訪れる人が絶えません。
そして、この地に住みたいという老人たちの願いに応えるのが真の老人
福祉であるという、故常磐勝憲長老の情熱と信念、多くの人々の善意が
結実して、昭和36年我が国で最初の「養護盲老人ホーム慈母園」が
誕生しました。さらに、故常磐長老の「思いやりの心を 広く深く」の
呼びかけの下に、昭和45年より法人名を”壺坂寺聚徳会”と改名し、
様々な福祉事業を行っております。  
    
    この前を通って進むと一段高いところに仁王門がありました
    _DSC_2036仁王門.JPG
    門の左右に仁王様が立っていました(阿形、吽形というのでしょう)
    立派な彫刻でした
    仁王門の説明が書いてりました
    _DSC_2038仁王門の説明.JPG 
    _DSC_2039仁王様.JPG
    _DSC_2040仁王様(右).JPG
    門を入ると右側には大仏、左側には多宝塔、その奥には
    灌頂堂がありました
    大仏(大釈迦如来石像)
    このお寺がインドのハンセン病患者救済に尽力したことに
    よってインドとの交流が始まり、この大仏はインドから
    贈られたものだそうです
    _DSC_2041大仏.JPG
    大仏の説明
    _DSC_2043大仏の説明.JPG
           この写真では字が読めないので下記に記載します

         天竺渡来 大釈迦如来石像
         十一面千手観音菩薩石像
         文殊菩薩石像
         普賢菩薩石像
        これら大石仏群は、インドから招来された。
        インドでの奉仕活動のご縁から始まった
       国際交流・石彫事業の一環で、製作された。
       二十一世紀初頭より、世界中で起こった暴力
       や中傷などによって痛んだ心を癒やすために
       建立された。
        また、先に、招来した大観音石像、大涅槃石像
       も拝し、心を大きくして、周りの人へと自然に思
       いやりの心を広く、深くして頂きたい。
        文殊菩薩は釈迦如来の「智慧」を、普賢菩薩は
       「行」観音菩薩は「慈悲」を表している。

                          合掌 


    多宝塔(手前)と灌頂堂(奥)
    _DSC_2042多宝塔.JPG
    多宝塔は寺の記載としてそう書いてあったかどうかは
    未確認です(形から私が勝手に呼称しました)
    更に進むと道がつづらおりになってその先階段を上がると
    あまり大きくないお堂がありました
    _DSC_2045本堂に続く道の途中にある建物.JPG
           堂の内壁に飾ってある絵画の説明
    _DSC_2046堂内の説明.JPG
    堂内の展示品の一つ・・・・小さな涅槃蔵像
    _DSC_2046涅槃像.JPG
    このお堂の中を通って、
    三重の塔や本堂が立つ広場に出ました 
    三重塔の背後の山は色づいた木々の葉がつかの間の美しさ
    を輝かせていました
    三重塔
    塔は明応六年(西暦1497年)に再建されたものと思われ、
    重要文化財に指定されています
    筆者は2010年秋にもここを訪れていますが、そのときは
    三重塔の扉が開かれ、中に秘仏「大日如来座像」がおかれて
    いましたが今回は扉が開いていませんでした     

    三重の塔の向こうは美しい紅葉でした
    _DSC_2051三重塔と紅葉.JPG
    _DSC_2052三重の塔と紅葉.JPG
    _DSC_2053三重塔と紅葉3.JPG
    三重塔の正面は目の祈りの場所でした
    _DSC_2061目のお寺.JPG
    ここを合掌してくぐると眼病が平癒するとのこと
    三重の塔全景
    _DSC_2064三重塔2.JPG  
    本堂全景(後に六角堂を伴っている) 
    _DSC_2065本堂.JPG
    壺坂霊験記のお里澤市の像
    _DSC_2067お里澤市の像.JPG
    本堂を横から見ました
    私には後に従えた六角堂が傾いて見えるのですが?
    _DSC_2068本堂と六角堂.JPG
    本堂へはスロープが着いていて車椅子でも入れそうです
    本堂の中
    手前が外陣、奥が内陣と言った堂内の配置になっていて
    奥の内陣部分は六角堂の中に配置されていました 
    _DSC_2074本堂側から六角堂の本尊を拝す.JPG
    本尊は十一面千手観音です
    _DSC_2071十一面千手観音.JPG
           仏様のお顔は東南アジア系のお顔にみえました    
    _DSC_2078御利益.JPG
    外の紅葉   
    _DSC_2079三重の塔と紅葉.JPG
    道路を隔て、少し山側に登った所に大観音石像が立って
    いました
    インドに対するハンセン病患者救済活動を通じてインドから
    贈られたものとのことです
    _DSC_2084観音像.JPG
    我々が見上げる場所には実物より少し小さい「御手」
    置かれていました
    _DSC_2082石像の御手の説明.JPG
    _DSC_2085阿弥陀如来座像.JPG
    観音石像が渡来したときの船がアミダーバ(阿弥陀如来)
    であったことから、アジアの海の安全を祈願してこの
    阿弥陀如来座像を建立したと書かれています
    _DSC_2085阿弥陀如来座像の由来.JPG
    本堂のある平面から観音石像のある高台へ登る途中から
    境内を見下ろした所の紅葉です
    _DSC_2086境内の紅葉.JPG
    出口に戻る途中行きに立ち寄らなかった仁王門を入って
    すぐの所にある灌頂堂を見ました
           _DSC_2090灌頂堂.JPG
    _DSC_2091灌頂堂由来.JPG
    これで壷阪寺を後にして高取山に向かいました
    寺の入り口を出たところにお城に向かう道がついていて
    下の道路まで戻らずに行けるようになっていました

    2010年に訪れた時はインドとの事業などに興味がなく
    お寺自身もあまり見るものがないと思いましたが、今回
    寺の説明を丁寧に読んでみて、お寺として立派な社会貢献
    をされていることが理解できて気持ちを入れて拝観させて
    頂きました。
    


                    
    






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