羽黒山と湯殿山(注連寺と大日坊) [山日記]
10月15日の後半
月山から降りてきて羽黒山の五重の塔の近くの駐車場に車を止めました。
鳥居をくぐるとすぐ隋身門。ここをくぐると、下りの階段が続きます。
一番下まで降りると、いくつかの祠があり、道は右に曲がって進みます。間もなく川を渡るところがあり、赤い橋が架かっていました。ここからは登りの階段が続きます。
橋を渡って少し行くと、ありました。五重の塔です。今回の山登はこの五重の塔を見ることが最大の目標だったかもしれません。杉の大木に囲まれて鬱蒼とした中、石畳を緩やかに登ったところに五重塔は建っていました。全く飾り気のない豪壮な佇まいでした。
五重塔を離れて参道に戻ると延々と階段が続いています。2446段あるのだそうですが、大急ぎで登って本殿に着きました。本殿よりも少し先にある大きな鐘楼が目につきました。神社なのになぜ鐘があるのだろう?
聞けば明治の廃仏毀釈の歴史を物語る遺産でした。本殿は半分工事中でしたが、中に入れてくれました。
参集殿の売店で妻の健康祈願のお守りを買って、今度は階段を駆け下りました。湯殿山にも行きたいので時間に余裕がありません。それでも、途中の茶屋でお餅と抹茶を頂くと少し元気が出ました。ここで、歩いた証拠として認定証を発行してくれました。
もう一度、五重の塔のそばへ行って良く眺めました。五重の塔から少し離れたところに杉の大木「爺杉」がありました。爺杉の前から五重の塔を眺めてみました。
橋を渡った後階段を上り切ると入口の鳥居のところに出ました。往復約2時間かかりました。
すぐに羽黒山を後にして、湯殿山大日坊と注連寺に向かいました。
大日坊の和尚さんに、明治までは湯殿山も羽黒山もお寺であったという話を聞きました。羽黒山に梵鐘があった理由がわかりました。廃仏毀釈の折り、湯殿山は神社へ変わることで今の盛隆を得たとのことですが、大日坊や注連寺は寺として存続することを希望したので住職が殺害されたり、寺領や建物が破壊されたというのです。徳川時代は徳川家の祈願寺として栄えたそうです。
大日坊から車で5分ほどのところにある、注連寺は森敦の小説「月山」の舞台となった寺です。
帰りは山形で一度高速をおりて、山寺(立石寺)へ寄ってみました。もう真っ暗で、奥の院へは入山禁止の時間帯になっていましたので、ここからはますぐ家に帰ることにしました。台風の接近で高速は80キロ規制、関東に近づくと50キロ規制になり、時間がかかりました。家に着いたのは翌日午前2時を過ぎていました。
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